HDAC阻害剤(ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤)
細胞内の遺伝子は「ヒストン」という物質に包まれています。これは重要な遺伝子のスイッチであるアセチル基を守るためにあるのですが、老化が進むとHDACによりアセチル基が失われ、スイッチがオフとなり、若々しい遺伝子発現パターンを維持できなくなってしまいます。HDAC阻害剤はこのアセチル基が外されるのを防いで、以下の働きを維持します。
1.オートファジーの活性化:老化の原因となる老廃物を掃除
2.酸化ストレスの抑制:抗酸化作用により細胞のダメージを軽減
3.ミトコンドリアの保護:エネルギーの産生を維持し、細胞の活性を保持
HDAC阻害剤にはクラスIからIVまであります。そのうち、クラスⅠ/Ⅱ HDAC阻害剤(ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤)は、老化細胞が慢性炎症を引き起こす因子を放出するSASP(細胞老化随伴分泌現象)遺伝子の活性化をエピジェネティックな制御を通じて抑制(セノスタティクス効果)します。主にSASP因子(IL-6, IL-8など)の発現を抑制する働きがあります。血液がんの治療等で使われる「HDAC阻害剤」(ボリノスタット等)の多くは、このクラスI/IIのHDACを標的としており、通常クラスIII HDAC(SIRT1)には作用しません。
HDAC阻害剤には
バルプロ酸ナトリウム(抗てんかん薬)、フェニル酪酸(尿素サイクル異常症治療薬)
Β-ヒドロキシ酪酸(断食やケトン食によって体内で作られる)
酪酸、レスベラトロール、ケルセチン、クルクミン、ベルベリン、スルフォラファンなどの天然ポリフェノールなど
があります。
一方、クラスIII HDAC (SIRT1)は、一般にサーチュイン(Sirtuin)と呼ばれるタンパク質ファミリーを指し、老化細胞が炎症性因子を分泌する「SASP(細胞老化随伴分泌現象)」を抑制する鍵となる脱アセチル化酵素です。SIRT1はSASP遺伝子のプロモーター領域に結合し、ヒストンを脱アセチル化することで、これら老化因子の発現を直接抑制しています。細胞老化に伴いSIRT1の活性が低下すると、SASP因子(IL-6, IL-8, MMPs等)の発現が上昇し、周囲の組織に炎症を広げます。
クラスIやIIのHDACが亜鉛イオン(Zn2+を必要とするのに対し、クラスIIIはNAD+(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)を補因子として利用するのが最大の特徴です。
クラスIII HDAC(サーチュイン)の概要
■構成: ヒトでは SIRT1〜SIRT7 の7種類が存在します。
■局在: 種類によって細胞内の存在場所が異なります。
核: SIRT1, SIRT2, SIRT6, SIRT7
ミトコンドリア: SIRT3, SIRT4, SIRT5
細胞質: SIRT1, SIRT2
■主な機能: ヒストンだけでなく非ヒストンタンパク質の脱アセチル化も行い、以下のような幅広い生命現象に関与しています。
長寿・老化制御: 酵母のSir2研究から始まり、老化防止や寿命延長への関与が注目されています。
代謝調節: エネルギー不足時の代謝制御やミトコンドリア機能の維持。
DNA修復・ゲノム安定性: DNAの損傷修復や、ヘテロクロマチン構造の維持による遺伝子サイレンシング。
ストレス応答: 細胞の生存やアポトーシス(細胞死)の制御。
HDAC阻害剤の抗腫瘍効果と使用する際の注意点
HDAC(ヒストン脱アセチル化酵素)阻害剤の働きとして、がん細胞表面のNKG2Dリガンド(MICA/BやULBPなど)の発現を上昇させ、NK細胞による腫瘍免疫を賦活化する効果が報告されています。抗がん剤として白血病や骨髄腫に用いられるツシジノスタットやボリノスタット、抗てんかん薬として使われているバルプロ酸ナトリウムが知られています。これらのクラスI/II HDAC阻害剤は腫瘍内での制御性T細胞(以下Treg)の割合を減少させることにより、免疫抑制機能を低下させ(細胞性免疫が活性化)、NK細胞の攻撃をより効果的にすることが期待されます。一方で、がん治療においてはTregの抑制が免疫反応の増強に繋がる場合もあり(例えば自己免疫性疾患や炎症性疾患が悪化する)、使用する阻害剤の種類や投与条件によって効果が異なる点には注意が必要です。
反面、クラスI/II HDAC阻害剤は、Tregの数や機能を増強させる作用があることで知られています。炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎など)や自己免疫性疾患、アレルギー疾患の治療にも用いられます。特に酪酸は強力なHDAC阻害作用を有し、抗老化治療にも用いられるものですが、Tregを活性化するため、抗腫瘍効果を減弱する恐れがあります。バルプロ酸ナトリウムやボリノスタットなどにもTregを活性化させる作用があります。従って、HDAC阻害薬には標的とするHDACのクラスやアイソザイム、投与量、対象となる疾患の状態で、抗炎症に働く(Tregの活性化)場合と抗腫瘍に働く(Tregの抑制)場合の両側面があることに留意しなければなりません。特にがん治療にHDAC阻害剤を併用する際には注意が必要です。
